経営者向けコラム
【更新】2018.07.31 【投稿】2018.07.31
「地元の大社長」だった父親と「破産しない」という選択
自己破産させない屋たちばなはじめ
こんにちは。たちばなです。
本日は金曜日。新潟に戻る上越新幹線車内からのブログ発信です。
昨日はね・・・・「珍客」がワタシを訪ねてくれました。
広島の飲食店に勤める女性。
広島出張の際に、これまで二度ほど彼女の勤める飲食店に出かけたんですが、
その際に「はじめ担当」になってくれた人。
韓国の大好きなグループのコンサートを観る為に、上京されたそうです。
「はじめさ~ん、ご飯食べに連れて行ってくださ~い」って言われて
・・・・・そうした(笑)
うら若き女性が、ノコノコとアラフィフのオッサンとの食事に付き合う・・・・
少々面食らいました。
「独りで来るの?」と、ワタシが訊くと・・・「いかん?」と。
いや・・・いかんくは無いけど・・・・も少し警戒したらどーだ!?(笑)
いや、モチロン・・・・彼女の宿泊先のホテルまでキチンとお返ししましたよ(;^ω^)
指一本!触れておりませんっ!・・・・・いや、一本くらいは触れたかな(笑)
せっかくお目にかかってお話しするので、広島のナイトビジネス従事者の
懐事情なんかも聞かせてもらいましたし、彼女は昼間も医療系のお仕事を
されているので、医療業界の懐事情なんかも聞かせて貰いましたよ。
大変失礼ながら・・・・思いのほかシッカリされている女性でした( ̄▽ ̄)
本日は、少々二日酔いではございますが、どうにか二件の面談対応を致しました。
これから新潟に戻りまして、夕方には地元のお祭りの花火見物です。
花火見物って言っても・・・・自宅のリビング窓の真正面に花火が上がるので、
妻の実家もお声かけしてまた酒盛りします(笑)
さて、本日もSNSに投稿した記事にお付き合いください。
あなたの大切な一日の中の数分間をワタシにお与えください。
いくらかでもあなたの糧になるのでしたら幸いです<(_ _)>
「地元の大社長」だった父親
新潟の自宅にて
資本主義経済社会では、
「市場を作る勢力」があり、これをパイオニアとかベンチャーとか言うのかな?
「市場でパイオニアを追随する勢力」があり、これをフォロワーとか言うのかな?
「市場を壊す勢力」があり、これをカテゴリーキラーとか言うのかな?
表現が正しいかどうかは別にして、ここではその様に呼ぶ事にする。
古くは、電子卓上計算機とか、三種の神器(テレビ・冷蔵庫・洗濯機)とか・・・。
第一号機が発売されたころには、パイオニア企業が、当時の平均月収の何倍とか
何十倍とかいうプライスで販売を開始し、類似した業種がフォロワー企業として、
コストを下げつつ価格や料金を下げ、価格競争に持ち込み、それらを一手に扱う
量販店などがカテゴリーキラーとして価格破壊を起こし、市場への浸透力を高める。
更に、社会のニーズに即した新しい商材をパイオニア企業が開発し、
フォロワー企業が追随し、カテゴリーキラーが価格破壊し・・・・。
あらゆる商材やノウハウには、「草創期」があり、「成熟期」があり、
やがて「衰退期」があるんだ。
そしてワタシは、資本主義経済社会はこの繰り返しだと認識しているんだ。
資本主義経済社会は自由競争であるから、まさに「サバイバル」の様相を呈すし、
どの業界や業種でもそれらを繰り返すんだ。
ビデオデッキ・ラジカセ・レコードやCD・プラズマ液晶テレビ・貸しレコード・
自動車電話やショルダーフォン・債務整理なんかもそういう市場形成なんだよ。
需要と供給のバランスによるのですよ。
ワタシの亡父は、昭和12年に新潟の資産家に生まれ、「織物とニットの街」
である地元で、当家の先祖は、代々「機織り」の事業を営んできた。
昭和36年、当時23歳だった亡父は「これからはモータリゼーションの時代だ」
として、当時まだ草創期の段階にあった「ガソリンスタンドや工業燃料の卸」の
事業に着手しようと考え、勤務していた銀行を退職し、独立したんだ。
草創期だったから、当時のガソリンや軽油などの自動車用燃料油の
マージン比率はかなり高かったようだ。
また、「織物とニットの街」で、糸をつむいだり、生地を染めたり・・・
ここにボイラーの熱源が必要であり、工業用燃料のニーズがかなり高い街で、
しっかりマージンを確保しながら売上を伸ばしていく。
草創期の業界であるメリットをシッカリ掴み、亡父は20代そこそこのうち財を成し
ていったんだ。晩年の父から、「思い出話」として目を細めて懐かしむ様子を何度も
ワタシは見てきた。
ワタシは亡父が33歳当時の長男であり、ワタシが物心ついた時には既に
「地元の大社長」だった・・・・いや、少なくともワタシにはその様に見えた。
青年会議所や法人会やロータリークラブなどなど・・・・主に「社長さん」が
集まるコミュニティに居ても、その中で「社長」って呼ばれている人だったんだ。
当時、中小企業の社長のあこがれだったセドリックやクラウンに乗っていたし、
3年くらいで乗り換えていた。
ワタシが通う小学校や中学校でも、必ずPTA会長。式典なんかで学校の壇上で
話す亡父はワタシの誇りだったよ。
「ボクのおとーさん」はすごく眩しい存在だったし、輝いていた。
ワタシが「後継者」として、亡父の燃料販売会社を継承する準備の為に
東京の外資系石油会社に入社した頃から・・・・燃料油の規制緩和による
低マージン化が始まったんだ。
瞬く間に亡父の会社は儲からなくなっていき・・・・3年で乗り換えていた
クルマは5年になり、10年になり・・・・内部留保を削りながら、事業を続けたんだ。
その頃ワタシは24歳。新潟にUターンしてすぐの頃。
会社の起死回生策として、「レンタルビデオを主体としたメディア関連事業」
とスタートさせたんだ。
当時のレンタルビデオ事業は草創期では無く成熟期にあったから、
儲かった期間は開店してから概ね5年くらい。
その後は衰退期に入り・・・・どんどん儲からなくなっていったんだ。
ワタシが29歳から30歳になる頃だった。
当時の自社の最大の工業燃料油の取引先の民事再生法適用申請により、
亡父の会社は6400万円の手形が焦げ付いたのをキッカケに、かつての
勤務先だったメイン銀行の態度の変貌ぶりについて行けず、
体調を崩した亡父はワタシに社長を譲った。
ワタシは当時30歳で、年収200万円の社長が誕生したのですよ(笑)
ワタシは社長になってから、コストセービングもしたし、仕入れ先の変更や
選別もした。
人員削減もしたし、保険の見直しや解約もした。
遊休不動産も売ったし、電気契約の見直しなんかもしたよ。
ワイシャツ来てネクタイ締めて仕事していたワタシは、やがて終日・・・
現場の作業着で過ごすようになる。
会計も人任せにはしておけないと、配達が終わった後に、作業着のまんまで
振替伝票なんかも自分で起こし、現金出納帳も自分でつけながら、
会社のコストや資金を管理した。
それでもそれでも・・・・どんどんマージンは減り、当時は右肩上がりしか
考えられなかった燃料油のニーズの低下が始まったんだ。
レンタルやメディア関連も売上は伸びる環境は終わり、如何に売上の下がる
スピードを抑制させ、仕入れを抑えるか?に終始する環境。
平成22年に父が73歳で亡くなったことをキッカケに、ワタシは父から
引き継いだ会社を畳むことにしたんだ。
その時に残った負債の約6億円の処理方法について「破産」を
考えていたんだけど、新潟の弁護士に350万円、東京の弁護士に400万円が
必要だと言われ、破産が出来なかった事をキッカケに、「非破産」と言う策がある事を知ったんだ。
「破産しない」という選択
当時、「口コミ」だけで仕事をしていた「非破産の師匠」から教えを受けた。
銀行に盾突く手法は、当時はコワかったけど、それしか手段が無かった
ワタシは師匠に食らいついた。
師匠は「大丈夫!ダイジョブだよ~。」しか言わない。
ワタシは、その「ダイジョブ」の根拠を知る為に、六法を読み漁り、
WEBで調べまくり、偽名で弁護士事務所を訪ね、法律に関する自分の認識が
正しいかを確認した。
それで、自分の経験の「法的整合性」を知ったんだ。
そして、いかに銀行がズルくて、保身しか考えていなくって、
しわ寄せを融資先に強いているかを知った。
そして、いかに弁護士がズルくて、保身しか考えていなくって、
娑婆を知らないのかを知った。
更には・・・法律は「知っている者の味方」である事を、深く理解したんだ。
「オレは、師匠に助けられて本当に本当に嬉しかったから、オレが相談者に
施してあげたら、絶対に嬉しいはずだし、ここに手を染めている人間や組織は非常
に少ない。」
と言う思考回路を経て・・・・新潟の多重債務者のみながわさんは、
“非破産マーケット” を創る ベンチャー企業経営者のたちばなさん、
として7年3か月前に、師匠と手を組む、と言う形態で “自己破産させない屋” を
始めたんだ。
「借りたカネを返すのは当たり前!」と言う社会環境で、
「優先順位を考えて借りたカネを返すのをやめるべき!」と謳う
ワタシの思考や経験は、当時の新潟では全く受け入れられず、批判の的になった。
「新潟じゃダメだ・・・」と思って東京に打って出たのが6年半前。
東京はやっぱり人口が多い。東京でも批判は多かったけど、
応援してくれる人もいた。
当時、実績も少なく、怪しいフォルムのワタシを応援してくれる人が少ないのは、
今思えば当たり前なんだけどね(笑)
都内でも、批判されまくる自分を奮い立たせる為に・・・・
「これはベンチャーの宿命なんだ!」と言い聞かせた。
少しずつ実績を重ね、株式会社を設立するために、千代田区神田小川町に
事務所を開いたら・・・・業績が急上昇。
「東京都千代田区」という立地が、ブランドシップになる事をその時に知ったんだ。
おかげ様で、神田小川町の事務所を維持して、今日までで4年3か月が経過した。
二年間維持した2畳の部屋から、5畳の部屋に換えて更に約2年。
来月には、更に8畳の部屋に換えようか? と、検討が出来る段階にはなってきた。
事業採算性も向上し、昨年5月には・・・神田税務署から税務調査にも
入ってもらえるようになった。
収入も落ち着き、年金受給者の母からの応援を受けなくても、
妻と娘三人を養いつつ、貯蓄が出来るようになって来た。
でも、まだまだ「非破産マーケット」は草創期の真っただ中。
ワタシの情報は・・・・ほんの一部の人間にしか伝わっていない。
おかげさんで、ワタシを模倣してくれるフォロワー事業体も出てはきたが、
まだまだそのフォロワー事業体も力が弱い。
「寡占状態」とまではいかないだろうが、当社はそれに準じた状態である、
と認識している。
本文の読者に、信じて頂けるかどうかは解らないけれど・・・・
ワタシは別に「大金持ち」になりたいワケではない。
一定の仕事上の成果と一定の収入の確保が出来れば、ワタシは「事業拡大志向」を
停止して「事業維持志向」に切り替えようと思っているんだ。
二年か三年ほど前に、ワタシはその事をブログに書いている。
どこに書いたかは忘れてしまったけど(笑)
非破産マーケットのパイオニアを意識しているたちばなはじめ。
そろそろ、自らのこのマーケットをカテゴリーキラーとしての
立場を打ち出して業務を継続しようかと。
実は、今年に入ったころから・・・・報酬算定のベースを下げているんだ。
自ら、カテゴリーキラーになる為に。
今までの報酬算定ベースがどのようになっていて・・・という事はここには
書けないし、同様に、今後はどのように算出していこうかも書けない。
でも、ワタシは算定ベースを確実に下げている。
それをどの様に評価するかは、本文の読者では無く、
ご相談者含めた依頼人が決める事であるから、ここでは書かない。
報酬算定のベースを下げても、自社は「維持志向」なのだから、
特段に困る環境にはならない。
報酬算定ベースを下げる事で、ワタシはフォロワーやカテゴリーキラーが
発生しにくい環境を作ろうと考えているんだ。
フォロワーやカテゴリーキラーが発生しにくければ、自社が一定以上の
マーケットの維持を継続出来、自社はますます内部留保を増やす事が出来、
「維持志向」の自社は、更に報酬算定ベースを下げる。
これによって、現在46歳のワタシは55歳くらいまで
この仕事が出来れば良いなぁ・・・と考えています。
55歳以降は、引き続きこのマーケットが自社を潤す様相であれば続けるし、
それが出来なくなった時は・・・「勝者無きサバイバルな争い」を避け、
その時点で自社で保有する資金を使い、他の事をやればいい。
その為の「次」のビジネスは・・・・今から探しているよ。
もっとも、新しいビジネスのアイデアが出てこず、働きに出ているかもしれないし、
また、すでに死んでいるかもしれない。
死のうと思っているワケではないが、先の事なんか誰にも解らない。
だから人生は、車の運転と同じ、「・・・だろう運転」がダメで、
「・・・かもしれない運転」であるべきだ、と言っているのです。
仕事も然り、人生も然り・・・・知識とスキルと戦略が肝要だね。
並みいる競合と闘い、蹴散らし、ナンバーワンの地位を
勝ち取ろうとする思考を否定はしない。
でも、そういう生き方でワタシは失敗をしたし、負債を抱えた。
いっとき、家族にもひもじい思いをさせてしまった事もあった。
だからワタシは、もう争わないし、蹴散らさないし、怒らない。
自由競争の資本主義経済社会で、世の中のニーズに対して、
自分のできる施しを提示し、依頼人から選んで頂く為に、最善の努力をする。
ここに、競合がどういう動きするか? や、こちらがどう報復するのか?
は、あまり重要ではない・・・という境地に現在は立っている。
最近、教えてもらった言葉がある。
「同じ事を繰り返しながら違う結果を望むこと。これを狂気という。 アインシュタイン」
また、常々頭に叩き入れている言葉がある。
「一番強い者も一番賢いものも生き残らない。唯一変化出来るものだけが生き残る。 ダーウィン」
人生80年・・・・一度や二度の変わるタイミングはあるし、そのチャンスは多くない。
今あるものにしがみつくのではなく、人生の中で、一度や二度は “変わる努力”
が必要だし、ワタシはそれを実行したし、これからも実行しますよ。
これこそが、たちばなはじめの考える、「人助けとビジネスの両立」であります。
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自己破産しちゃいけない!
債務整理しちゃいけない!
自殺はもっとしちゃいけない!!
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自己破産させない屋たちばなはじめ
■略歴
平成21年に、父親から引継いだ6億円の債務で資金繰りに困窮し自己破産を検討。
しかし、自己破産にも資金が必要な事、弁護士から350万円掛かると言われ断念。
信頼を置いている知人の紹介により、知り合った金融コンサルの指導で借入金返済
債務にも時効がある事を知り、それをクライアントに話さない弁護士に嫌気が差し、
以後弁護士との接見を行わず、任意整理もせず、6億円の金融債務返済を毎月元利
返済180万円を約2ヶ月後、合法的に返済元利毎月5千円に圧縮することに成功する。
そして、資金繰りは爆発的に改善する。現在も社長業を継続し13年目を迎える。
返済額圧縮によってねん出した資金を合法的に流用し39歳で自宅の住宅ローンを
29年分一括返済する。
自らの経験談を各地で話し、既に1,000名以上の個別相談に乗り、
日々クライアントに適した手段で救済を行っている。
講演実績
▲大手外資系生命保険会社 ▲首都圏大手 会計事務所 勉強会 ▲大手国内生命保険ライフプランナーグループ
(定例開催実績12回) ▲東北地方学校法人運営数社 これら含め国内各地で合計600回以上(6年間で)開催。
講座ページ:http://shikin-kaizen.net
株式会社MEPたちばな総研 代表取締役
たちばなはじめ(ビジネスネーム)